昨年9月11日、米国で同時多発テロ事件が発生しましたが、コントロール・リスクス社(以下「CR社」)では、事件発生翌日の段階で、すべての客先に対し、この事件がオサマ・ビン・ラーディンのしわざであることはほぼ間違いなく、米国は間違いなく報復するだろう、その場合、世界のイスラム諸国では強烈な反米抗議行動やテロが発生する危険性があるとのコメントを発信しました。また、危険を避けるための具体的対策として、ある程度状況がはっきりするまでは新たな海外出張を取りやめ、すでに出張中の方は、安全な場所で行動を凍結すべきこと、アフガニスタン、パキスタン等からは直ちに退避すべきこと、海外での企業イベント等の開催はしばらく延期した方がよいこと、米国大使館、米国系のホテルやレストラン等米国関連施設は避けた方がよいこと等を客先に対して助言しました。
米国同時多発テロ事件以降の日本企業と欧米企業の対応を比較してみたいと思います。まず、日本企業ですが、大半の企業では、テロ事件の後、目的地にかかわらず不要不急の海外出張が禁止され、特に米国出張については多くの企業で原則禁止とされました。相当数の企業が、いまだに渡航規制を継続しています。米国出張についてこういった厳しい規制をかける一方で、米国駐在員や家族を帰国させようという動きはみられず、一部の米国駐在員の間では、この点に関する、会社の姿勢の一貫性のなさを批判する声も聞かれました。
これに対して、多くの欧米多国籍企業では、テロが起きた9月11日直後は、とりあえず航空機での移動を24時間ないし48時間凍結する措置がとられました。しかし、それ以降の行動は「自主判断」とされ、事件の数日後には、特にリスクの高いアフガニスタンやパキスタン等の一部の国への渡航を除き、ほぼ通常の状態に戻りました。日本企業のように、社員の海外出張を長期にわたり一律に制限・中止する措置をとった欧米企業は、調査した範囲では見あたりませんでした。
テロ事件発生後、日本の各企業からCR社に対し、次のような相談が続々と寄せられました。「海外出張禁止の対象地域はどう決めたらよいのでしょうか。」「外務省は米国を危険地域として指定していませんが、米国への出張はどう考えたらよいのでしょうか。」「航空会社はどこを選ぶべきでしょうか。」「どうしても行かなければならない出張がある場合はどうすればいよいのでしょうか。」「渡航制限をいつまで続けなければならないのでしょうか。」「他社はどのような対応をしているのでしょうか」・・・・。このような相談の背景として、私は一つの共通したメッセージを感じ取りました。それは、各社とも、意識の底では「出張しても大した危険はない」と感じておられたのではないかということです。本当に危ないと思っておられたら、各社とも、CR社に相談なんかしないで、即出張を中止していたはずです。
このような問題意識を踏まえて、今回のテロ関連のリスクをタイプ別、すなわち、大規模テロ、ハイジャック、デモ・暴動、炭疸菌テロ、サイバーテロの5種類に分類して、いくつかの角度から比較・分析をしてみたいと思います(下表参照)。
まず、一企業または一個人が被害に巻き込まれる確率がどのぐらいあるかということを「リスク度」という言葉で表現してみました。この「リスク度」で見ると、大規模テロやハイジャックの被害に遭う可能性は非常に低く、宝くじに当たる可能性よりもさらに低いと思います。一方、デモや暴動は、「点」ではなく「面」で発生し、もしその都市や町に居合わせれば確実に巻き込まれることから、「リスク度」はより高いといえます。サイバーテロに至っては、悪い意図と能力を持った者がその気にさえなれば、世界中の多数の企業や個人をパニックに陥れる危険性を持っているわけですから、「リスク度」は非常に高いのです。
これに対し、皆さんがどれだけ怖いと思うかという「恐怖度」の面で比較して見ると、圧倒的に高いのはやはり大規模テロでしょう。それからハイジャックや炭疽菌テロも「恐怖度」の高いものの範疇にはいるでしょう。一方で、デモ・暴動やサイバーテロに関する体感「恐怖度」はかなり低くなっていると思われます。 次に、企業がどれくらいの対応策をとれるかという「対応難易度」ですが、大規模テロやハイジャックについては、ほとんど対策の講じようがありません。ですからこれらについての「対応難易度」は極めて高くなります。更に、企業としての「対応優先度」ですが、対処しようのないものに悩んでも仕方ありませんので、大規模テロとハイジャックは一番「対応優先度」が低いものと位置づけられます。
リスクの種類 | リスク度 | 恐怖度 | 対応難易度 | 対応優先度 |
---|---|---|---|---|
大規模テロ | * | * * * | * * * | * |
ハイジャック | * * | * * * | * * * | * |
デモ・暴動 | * * * | * | * | * * * |
炭疽菌テロ | * | * * * | * * | * * |
サイバーテロ | * * * | * | * | * * * |
外務省の統計を見ますと、海外における日本人の死亡原因で一番多いのが病気、その次が交通事故で、テロ事件で亡くなった方の数は全体の1%未満となっています。このように、結果から見れば、テロで死亡する確率は非常に低いということが分かります。だからといって、べつに何もしなくてよいと言うつもりはありませんが、実はこの程度に過ぎないテロのリスクのために、企業の海外活動を大きく制限し、ビジネスチャンスを犠牲にすることが、果たして正しい経営判断といえるのでしょうか。一方で、病気と交通事故は、海外における最大の死亡原因となっていますが、駐在員の健康診断の回数を増やす、車での長距離移動には複数の車を用いるなど、企業が採り得る有効な対策はいくらでもあります。しかし、現実にこのような対策を講じている企業は数えるほどしかありません。このような企業のリスク対応を見ると、どこかバランスに欠けているような感じが否めません。
今回のテロ事件で、多くの日本企業が示した「過剰」ともいえるような反応には、マスコミの報道姿勢が大きく影響していたと思います。9月11日のテロ事件以降、テレビは大半の放送時間を使って繰り返しテロ現場の映像を流しました。これによって、「世界中がテロのリスクに満ちている」という印象を与えてしまったのではないでしょうか。また、マスコミが各企業に対し、どのようなテロ対策を講じているかについて取材して回ったことも、「魔女狩り」的効果を産んだような気がします。こういう取材に対して企業側が、「当社ではテロのリスクは気にしていません。」などと回答すれば、社員の安全軽視だとの批判を受けかねません。そのような状況下で、「当社では出張は自粛しております」「米国には一切行かせないようにいたしております。」云々と言っておいた方が無難じゃないかという心理が働いたとしても無理もありません。このようなマスコミの無言の圧力が、欧米企業に見られたようなリスクに対する冷静な判断を妨げた面もあるのではないでしょうか。
テロへの対応は、政府、国際機関、NGO等だけに任せておけばいいものではなく、企業にも大きな役割が与えられていると思います。テロリストの狙いは、世界中の人々を恐怖で震え上がらせることにより、世界経済を混乱におとしいれることにあります。このようなテロリストとの戦いにおける、企業としての第一の貢献は、「見てくれの恐怖」に惑わされることなく、冷静な判断に基づく安全対策を講じることによって、通常の企業活動を可能な限り継続することだと思います。また、進出国からの撤退や避難を考える前に、現地での安全操業の道を、現地社員と一体となって極限まで追求する努力を忘れてはなりません。経営者ご自身はあまり意識しておられないようですが、日本企業は、途上国において雇用を創出し継続することによって、テロの素地となるような社会的不公正や貧困をなくすことに、すでに大きく貢献しているのです。
誘拐、ハイジャック、人質立てこもり事件においては、被害者の家族、企業、政府等の事件の当事者側と、マスコミ側との間で、なかなか利害が一致しないことがあります。それを表にまとめてみました(下表参照)。事件の発生、犯人との交渉、事件の長期化、身代金の問題、そして各当事者の対応上の失態は、いずれも家族、企業、政府等にとってはイヤな話なのですが、マスコミにとっては格好の報道材料になります。
次に、マスコミ報道との関係で問題が生じた具体的な例をご紹介したいと思います。99年のインディアン航空機ハイジャック事件や昨年のイスタンブールでのホテル占拠事件では、事件がまだ進行中の段階で、人質の中に日本人が含まれていることが報道されました。このとき、もし犯人がラジオか何かでその報道を知ったとしたら、経済大国である日本の政府や企業に圧力をかけることを考えても不思議ではなく、もしそうなった場合には事件の解決や被害者の安全に大きな悪影響が及んでいた可能性があります。また、87年のマニラにおける商社支社長誘拐事件では、報道機関に人質自身のメッセージが録音されたテープが送付されました。これを送りつけてきた犯人の意図が、企業、被害者の家族、そして日本政府にプレッシャーをかけて、この問題を何とかするよう仕向けることにあったことは明白だったのですが、それでもこのテープは報道されてしまいました。更に、日本人が巻き込まれた事件ではありませんが、90年にエクアドルで発生したアメリカ人鉱山技師誘拐事件では、当初120万ドルであった身代金要求額が、交渉の結果一時は6万ドルにまで下がったのですが、テレビのニュースで人質の家族がカンパで11万ドル集めたことが報じられため、身代金が跳ね上ってしまいました。また、96年のメキシコ・ティファナにおける家電メーカー現地法人社長誘拐事件では、身代金200万ドルが支払われたと報じられたため、中南米各国に駐在する日本企業の方々を誘拐の恐怖に陥れる結果となりました。
犯人 | 現地政府 | 日本政府 | 企業 | 家族 | 報道機関 | |
---|---|---|---|---|---|---|
事件発生 | ○ | × | × | × | × | ○ |
交渉 | ○ | × | △ | △ | ○ | ○ |
事件長期化 | △ | × | × | × | × | ○ |
身代金支払 | ◎ | × | × | △ | △ | ○ |
人質死亡 | △ | △ | × | × | ×× | ○ |
人質生還 | △ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ○ |
犯人逮捕 | ×× | ◎ | ○ | △ | △ | ○ |
事件報道 | ○ | × | × | × | × | ◎ |
企業の失態 | - | - | - | ×× | △ | ◎ |
現地政府の失態 | △ | ×× | × | △ | - | ◎ |
日本政府の失態 | △ | △ | ×× | △ | - | ◎ |
山崎CR社社長の基調講演でも触れられましたが、メディアがテロ事件に大きな関心をもつものだということはある面で当たっていると思います。テロという言葉は、普通には、一定の政治的目的を暴力によって達成する主義のことだといわれています。しかし、一口にテロといっても、実は、権力によるテロ、右翼によるテロ、左翼によるテロ、反政府活動として行われるテロ(実行者が英雄視される場合があります。)、それから無差別テロと、非常に多様であり、多面的に見なければその本質はわからないと思います。
第1に、9月11日の同時多発テロ事件は、世界の耳目を集めたショッキングな事件ですが、企業としてはこれに周章狼狽すべきではないと思います。企業が対処すべき事態は大規模テロ事件以外にも様々なものがあり、起こり得る危険を想定して対策をたて、事態が生じた場合に主体的に判断する能力を身につけておくことが重要です。
第2に、テロ事件が起こった場合、マスコミへの対応は、事件対応そのもの以上に大変です。報道による様々な影響を考えれば、企業側がマスコミとの接触に消極的にならざるを得ない面があるのは判りますが、一方で、事件にうまく対応すれば企業のイメージが高まることもあり、マスコミを前向きに利用する姿勢も必要だと思います
第3に、企業の海外安全対策の対象には、日本人職員だけではなく現地雇いの地域出身の従業員も含めるべきです。また、日本人が被害に遭う場合だけではなく、職員が現地の法律などに抵触して身柄を拘留されるようなケースについても関心をもつべきでしょう。
メディアの視聴者の立場から発言させていただきますと、9.11の報道は、最初は間違いなく報道でしたが、繰り返し流されていく中で、明らかに一種のプロパガンダになっていったという印象を持っています。そして、米国では悪いことは全てテロリズムが原因なのだという考え方に導くような報道がなされたりしましたが、一体なぜテロが起きるのかという本質的な問題が見えてこなかったことには疑問を覚えました。
政府広報などでは、海外に向けての広報活動は手薄で、日本のイメージは依然として海外では良くありません。このイメージをどういうふうに変えていくかは、実は遠いようで、テロの問題と近い問題ではないかとも感じています
今日の世界において、テロは、深刻で身近な脅威になっています。我々は否応なしに、その脅威と向かい合わざるを得ないのです。9月11日のテロ事件は、突然出てきたのではなく、米国国務省の統計によれば90年代の前半と後半でテロによる死傷者数は既に4倍に膨れ上がっていました。 9月11日から約半年が経過しましたが、事件の記憶が風化すればする程、逆に危険は高まるのではないかと懸念しています。3月に入ってからも、世界各地でテロ事件が発生しており、米国政府もテロ関連の警告を何回も発出しています。外務省としては全在外公館に体制の再点検を指示しました。
テロ事件発生時のマスコミ対応のあり方については、毎回様々な教訓を得るのですが、なかなかそれがシェアされていません。今回のシンポジウムを通じて、いろいろな方々の経験、知恵、知識を、企業、NGO、観光業界、マスコミの方々、政府も入って、きちんとシェアしておきたいと考えています。
9月11日のテロ事件発生以前の昨年5月から9月までの間に、外務省ではアル・カーイダ等のイスラム過激派によるアメリカの権益に対するテロの危険性に関する「海外安全相談センター情報」を12件発信しましたが、残念ながらメディアではまったく報道されませんでした。しかし、最近のイタリア4都市におけるイースターテロの可能性に関する注意喚起については、数紙がかなり大きく報じており、メディアの対応も変わってきていると思います。
外務省の発出する海外危険情報は決してオールマイティーではないことは正直に申し上げたいと思います。危険というのは極めて多様な要素からなり、各々の地域、状況によって全然変わってきますし、時間によっても絶えず変化しています。また、皆さんがどういう安全対策をとられるかによっても、危険の度合いは大きく変わってきます。海外危険情報というのは、このように多様で捉えがたい危険というものを、大くくりにして1つの目安として提示しているものです。ですから、危険については、最終的には、個々人が自分の目で見て、ご自身でご判断いただくというものだと思うのです。
司会 |
---|
![]()
|
パネリスト紹介(50音順) |
![]()
|
![]()
|
![]()
|
![]()
|